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モノづくり論の新しい展開~技術リソース立国への道日本型ビジネス文化モノづくり開国

Taka Muraji 村治孝浩

ドメスティックな日本のモノづくり力再発見

日本のモノづくり力をもう一度評価しよう、という記事をビジネス誌をはじめ、頻繁に目にするようになりました。バブル崩壊後も日本経済がかつてのように再浮揚する機会がないままに、国内経済の低迷度がより深刻化する中で日本が持てる力を再認識し、自信の糧にしよう、という意識がそこには見え隠れします。

世界のお手本となるべき日本のモノづくりは、細やかなところまで気を配る緻密さ、たゆまぬ創意工夫と努力。これらを総結集した力が、日本のモノづくり力であり、この日本が誇るべきモノづくりに対する姿勢を再認識し、「製造立国」としての立場を再構築しよう、という意見はまさにそのとおりといえるでしょう。

しかし、ここかしこで聞かれる論調は、非常に内向き思考、というか、非常にドメスティックに聞こえるのです。もちろん、日本人のモノづくりが「ドメスティック」であるのは当然。「日本人による日本再生」ということで「日本のも作り力」が問われているのであれば、内向きも当然なのかもしれません。

ただ、日本のモノづくりは既に、多方面で国境を越えていることも間違いのない事実です。たとえば、製造業の多くは、中国を始めとする世界各国で製造拠点を持っています。その製造拠点で導入されているのは、もちろんこの「日本式モノづくり」の方程式に則ったものなのです。

私が拠点としているアメリカでも、多くの日系企業が工場を展開しています。最近は、北米市場での製品供給をさらに安価なものとするべく、メキシコに工場を展開する日系企業も増えています。私がお付き合いをさせていただいているクライアントは、国際的にも非常に知名度の高いメーカー系が多数あるのですが、それらの企業が例外なく苦労していること。それが、この「日本式」の導入です。


日本式モノづくりは世界では理解されない

日本のモノづくりの概念というのは、一言で説明できるものではありません。それは、まさに、日本の生活観が生み出した「モノ」に対する意識、伝統的な「作る」という行為に対する概念の集大成なのです。さらに、そこに仏教や神道的な概念といったものまでが複雑に絡まりあい、手で編み出し、工夫を重ね、調和という精神に従って全員が努力惜しまず参加する、という非常にユニークな製造に対する技術とプロセスを編み出してきたのではないでしょうか。

言い換えれば、日本式のモノづくりというのは、日本のフォークロア(民間伝承)とも言えるでしょう。当然、日本と同じ文化的背景を共有していない他の民族に「日本式」を理解してもらうには相当な努力と時間を費やす必要があります。問題は、この理屈を理解していない企業が予想以上に多いということです。

日本から派遣された多くの駐在員は、この日本式のモノづくりに対する姿勢が「ユニバーサルなもの」であると信じ込み、一から説明しなくても理解されるものと信じきっているケースが多く、そのために現地教育に当たって想像以上の困難に出会うことが珍しくありません。駐在員の意識というのは、会社の意識を代表するといっても過言ではありません。つまり、日本の企業の多くが、日本の論理が世界では理解されない、という企業のグローバル化にあたって当然覚悟しておくべきことに意識を注いでいない実情があります。


エスノセントリズムからの脱却が国際化への鍵となる

これは「エスノセントリズム」と呼ばれる意識が、日本の企業に根付いている証のひとつといえるでしょう。エスノセントリズムとは、日本語では「自民族中心主義」とも訳され、社会学者のウィリアム・サムナーによって提唱された考え方です(これについては次回、詳しくご紹介したいと思います)。

文化というものがそれぞれの国によって異なり、従って当然、その文化を基本として育まれたモノに対する意識、「作る」という行為に対する思想が異なってきます。この事実をどれほど理解できるか。これが、これからの企業のグローバライゼーションの大きなキーワードとなることは間違いありません。さらに、日本のモノづくりは、このキーワードをどう捉えるかによって、方向性に大きな違いが出てくるのではないでしょうか。

日本式は理解されない。この前提があれば、次のステップは「では、理解され得ないのか?」という疑問が生まれてきます。私は、この疑問に対して答えは「NO」つまり、「理解され得る」と答えたいと思います。では、世界で日本式が理解されるためには、どうすればよいのか?ここを考えることから日本のモノづくりのグローバライゼーションがスタートします。日本のモノづくりに対する姿勢、思想、方法論を相手の文化に合わせて、論理的にわかりやすく再構築する。そして、相手の文化的背景を取り込んだ上で、わかりやすく解説する。伝える。実践する。こういった作業がなされない限り、日本の製造業が海外でさらに成功を収め、そして、世界の製造の模範となることはできません。

グローバル化で技術と知識を世界に公開しよう

日本のモノづくりは、大きな可能性を秘めています。それだけに、日本の国内にその技術をとどめておくのは、あまりにももったいないのです。世界のあらゆる国の人々が、日本の方法論を取り入れ、自国のやり方に調整しなおし、自分たちの方法で「カイゼン」を積み重ねることができれば、世界の製造業に日本の知識が大きな貢献をなすことになります。

そのためには、これから私たちがどのように、自分たちの技術を積極的に公開できるかが問われることになります。しかし、公開するだけでは不十分です。世界の人たちが理解しやすい方法に文化的かつ論理的に翻訳する必要があるのです。こうした努力があってこそ、日本は世界から尊敬される技術立国になると私は考えています。


「モノ」の供給から「技術」の供給へ、視点の転換を

モノづくりの技術をただ誇るだけではない。それを他の人が使いやすいものへと変えていく。その力を備えていこそ、日本は「技術立国」ではない「技術国」になれるのではないか。技術国というのは、自らを立てる「立国」だけを目指すのではなく、その技術を生かしてさらにリソース化し、世界へ向けて積極的に転用を促す懐の広さが求められます。

日本は、その優れた力で、優れた製品を世界市場で供給してきました。しかし、その結果残念なことに日本を語られる際には「モノ」で語られることが殆どといっても過言ではありません。日本がモノで世界を満たす時代は早晩終焉を告げるでしょう。その時に、次のステージへ日本が進んでいなければ世界市場でリードを取ることができないのはおろか、真の意味でのリーダー国の一員としての尊敬を得ることはできません。日本は自らを「技術の源」として世界に情報を発信する「技術リソース立国」としての道を模索してこそ、世界経済の中で新たなポジションを得られるのではないでしょうか。

 
 
 

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